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81話 緊張するルシアン

last update Last Updated: 2025-03-11 08:40:21

「ようこそ、ルシアン様。そして御令嬢、お待ち申し上げておりました」

スーツを着用した大柄な男性が2人を出迎えた。男性は小柄なイレーネにとっては見上げるほどの大男だった。

「まぁ……なんて大きな方なのでしょう」

イレーネは男性を見上げ、思ったままの言葉を口にする。

「う……ゴホン! イレーネ。彼はこの城の執事、メイソンだ。メイソン、彼女は俺の婚約者である、イレーネ・シエラ。よろしく頼む」

ルシアンは咳払いすると、2人を引き合わせた。

「イレーネ様でいらっしゃいますか? はじめまして、執事のメイソン・タイラーと申します。どうぞ、お気軽にメイソンとお呼び下さい」

そしてメイソンはニコリと笑みを浮かべる。

「私はイレーネ・シエラと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

2人が挨拶を交わしたところで、ルシアンはメイソンに尋ねた。

「メイソン。早速祖父に御挨拶したいのだが……今何処にいる?」

「はい、旦那様は書斎にいらっしゃいます」

恭しく返事をするメイソン。

「では早速行こう。彼女の荷物を頼む」

「はい、お部屋に運んでおきます」

するとイレーネはメイソンに声をかけた。

「あの、荷物なら自分で運びますわ」

「え?」

その言葉にメイソンは目を見開く。

「い、いや! 荷物はメイソンにまかせておこう。それよりも早く祖父の元へ行かないと」

ルシアンは慌てたようにイレーネの手を引くと、歩き出した。

「え? ルシアン様?」

何故ルシアンが慌てているのか、訳も分からないままイレーネは手を引かれてその場を後にした――

****

「イレーネ。以前にも話しただろう? 貴族女性はむやみやたらに荷物を持つものではないと」

ルシアンはイレーネの手を引きながら話しかけてきた。

「あ、そうでしたね。私ったらついうっかりしておりました。申し訳ございません」

「い、いや。忘れてしまっていたなら仕方がない。だが、今後は気をつけるようにな。特に祖父の前では」

素直に謝るイレーネに、ルシアンは声のトーンを落とす。

「それにしても、本当にお城に住んでらしたのですね……床が大理石ですし、豪華なシャンデリアですねぇ」

イレーネがうっとりした様子で周囲を見渡す。

「そうか? あまり感じたことはないがな」

その後、書斎に行くまでの間に2人は多くの使用人たちとすれ違った。彼らは深々とおじぎをしながらも、好奇心いっぱい
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    ――18時ルシアンが書斎で仕事をしていると、部屋の扉がノックされた。「入ってくれ」てっきり、リカルドだと思っていたルシアンは顔も上げずに返事をする。すると扉が開かれ、部屋に声が響き渡った。「失礼いたします」「え?」その声に驚き、ルシアンは顔を上げるとイレーネが笑みを浮かべて立っていた。「イレーネ! 驚いたな……。てっきり、今夜は泊まるのかとばかり思っていた」「はい、その予定だったのですがリカルド様がいらしたので、一緒に帰ってくることにしたのです」イレーネは答えながら部屋の中に入ってきた。「ん? イレーネ。足をどうかしたのか?」ルシアンが眉を潜める。「え? 足ですか?」「ああ、歩き方がいつもとは違う」ルシアンは席を立つと、イレーネに近付き足元を見つめた。「あ、あの。少し足首をひねってしまって……」「まさか、それなのに歩いていたのか? 駄目じゃないか」言うなり、ルシアンはイレーネを抱き上げた。「え? きゃあ! ル、ルシアン様!?」ルシアンはイレーネを抱き上げたままソファに向かうと、座らせた。「足は大事にしないと駄目だ。ここに座っていろ。今、人を呼んで主治医を連れてきてもらうから」「いいえ、それなら大丈夫です。自分で手当をしましたから」イレーネは少しだけ、ドレスの裾を上げると包帯を巻いた足を見せる。「自分で治療したのか?」 包帯を巻いた足を見て、驚くルシアン。「はい、湿布薬を作って自分で包帯を巻きました。シエラ家は貧しかったのでお医者様を呼べるような環境ではありませんでしたから。お祖父様には色々教えていただきました」「イレーネ……君って人は……」ルシアンはイレーネの置かれていた境遇にグッとくる。「でも……まさか、ルシアン様に気付かれるとは思いませんでしたわ」「それはそうだろう。俺がどれだけ、君のことを見ていると思って……」そこまで言いかけルシアンは顔が赤くなり、思わず顔を背けた。(お、俺は一体何を言ってるんだ? これではイレーネのことが気になっていると言っているようなものじゃないか!)だがいつの頃からか、イレーネから目を離せなくなっていたのは事実だ。「ルシアン様? どうされたのですか?」突然そっぽを向いてしまったルシアンにイレーネは首を傾げる。「い、いや。何でもない」「そうですか……でも、嬉しいで

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     高級ホテルの一室で、ベアトリスが台本を呼んでいると部屋の扉がノックされた。――コンコン「帰ってきたようね」台本を置くと、ベアトリスは早速扉を開けに向かった。ドアアイを覗き込むと、すぐにベアトリスは扉を開けて訪ねてきた人物を迎え入れた。「お帰りなさい、カイン。入って頂戴」「ああ」カインは頷くと部屋の中へ入り、疲れた様子でソファに座った。「お疲れ様、それで家の様子はどうだったのかしら?」カインの向かい側のソファに座ると早速質問する。「君は、あの家は空き家になっているだろうと俺に言ったが、人が住んでいたぞ? しかも女性だ」「え? 嘘でしょう?」その言葉にベアトリスは目を見開く。「嘘なものか。あの家には若い女性が住んでいた。ブロンドの長い髪が印象的だったな。……かなり美人だった。それに何故か警察官がいて、職務質問をされたよ」「そんな……あの家に人が住んでいたなんて……まさか、ルシアンは家を手放したっていうの? ずっとこの家は残しておくって約束してくれていたのに……」ベアトリスは悔しそうに唇を噛む。「俺が職務質問をされた話はどうでもいいのかよ……? まぁいい。どうせ君は俺には興味が無いのだからな。家を残しておくという話は2人が恋人同士だった頃のことだろう? とっくに手放していたっておかしな話ではないはずだ。そもそも彼を捨てたのは君の方だろう? ベアトリス……まさか、まだその男に未練があるのか?」眉をひそめるカイン。「……あの時は、別れたくて別れたわけじゃないわよ。彼の祖父は私のことを軽蔑して、私達の仲を反対していたのだから。それに、舞台のオファーは私にようやく回ってきたチャンスだったのよ」「だから、引き止める恋人を捨てて渡航したんだろう? 置き手紙一つだけ残して」「そうよ……だって、本当に必死だったのよ。失ったものは大きかったけど、私はこの通り成功したわ。それも今では世界の歌姫と呼ばれるほどにね」「それで今回かつての恋人がいた地『デリア』に来て、未練が募ってきたってわけか?」「別に未練だとか、そういうわけではないわよ!」ベアトリスはカインを睨みつけた。「だったら何故俺にあの家の様子を見に行かせた? まだ彼が自分を忘れられずに家を手放していないと考えたからだろう?」「……」しかし、その問いにベアトリスは答えない。「君は置

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   124話 このことは内緒に

     リカルドはとても焦っていた。(一体、あの状況は何なのだ……)自分で馬車を走らせ、リカルドはここまでやってきた。するとイレーネが警察官と共に見知らぬ青年と対峙している場面に遭遇したのだ。(何故イレーネさんは警察官と一緒にいるのだろう? それにあの青年は誰だ? 何やら問い詰められているようにも見える……とにかく、今は隠れていた方が良さそうだ)そう判断したリカルドは、大木の側に馬車を止めてると急いで身を隠して様子を伺っていたのだ。「おや? 帰って行くようだ」少しの間、見ていると青年はそのまま立ち去って行った。そしてイレーネと警察官は何やら話をしている。その姿は妙に親し気に見えた。(気さくなタイプの警察官なのかもしれないな……)そんなことを考えていると、警察官が自分の方を振り向いた。「……というわけで、そこの方。貴方もいい加減出てきたらどうですか?」(え!? バレていた……!? そ、そんな……!)しかし、相手は警察官。下手な行動は取れないと判断したリカルドは観念して木の陰から出てきた。「は、はい……」「まぁ! リカルド様ではありませんか? どうしてそんなところに隠れていたのですか? どうぞこちらへいらして下さい」イレーネが笑顔で呼びかける。「はい、イレーネさん」おっかなびっくり、リカルドは二人の前にやって来た。一方、驚いているのはケヴィンだった。「ひょっとして、お二人は知り合い同士なのですか?」「はい、そうです。こちらの方はリカルド・エイデン様。この家の家主さんです」イレーネは笑顔でケヴィンに紹介する。そう、イレーネから見ればリカルドはこの家の家主に該当するのだ。「え? 家主さんだったのですか!?」ケヴィンはリカルドを見つめる。「は、はい……そうです……」(家主? 確かに私はこの家の家主のような者だが……何故、ルシアン様の名前を出さないのだろう? ハッ! そういえば、お二人は世間を騙す為の結婚……つまり、偽装結婚をする関係だ。そして目の前にいるのは警察官。もしかして偽装結婚は犯罪に値するのだろうか? それでイレーネさんはルシアン様の名前を出さなかったのかもしれない!)心配性のリカルドは目まぐるしく考えを巡らせ、自分の中で結論付けた。「はい、私はイレーネさんにこの屋敷を貸している(今は)家主のリカルド・エイデンです」早

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   123話 出てきて下さい

    ――16時「大分、痛みがひいたみたいね」イレーネは立ち上がると歩いてみた。「これなら農作業用具を片付けられそうだわ」エプロンを身に着けている時。――コンコン突然部屋にノックの音が響き渡った。「あら? 誰かしら? もしかしてルシアン様かしら」イレーネは少しだけ足を引きずりながらへ向かうとドアアイを覗き込み、驚いた。「え? ケヴィンさん?」何と訪ねてきたのはケヴィンだったのだ。イレーネは慌てて扉を開けた。「いきなり訪ねてすみません、イレーネさん」ケヴィンはイレーネの姿を見ると笑みを浮かべた。「ケヴィンさん、一体どうなさったのですか? まだ制服姿ということはお仕事中ですよね?」「ええ、そうなのですが……イレーネさんの怪我が気になってしまって、訪ねてしまいました。大丈夫ですか?」「ええ。自分で手当をしたので大丈夫ですわ」イレーネは包帯を巻いた足を少しだけ上に上げてみせた。「そうでしたか……それなら良かったです。あの、実はコレを届けたかったのです」ケヴィンは恥ずかしそうに紙袋を差し出してきた。「あの、これは……?」躊躇いながら受け取るイレーネ。「はい、ドライレーズンです。確か、今夜はレーズンパンを作るつもりだと仰っていましたよね?」「まぁ……それでは、わざわざ買って持ってきて下さったのですか? それではすぐに代金を支払いますね」イレーネが部屋に取って返そうとした時。「あ! 待ってください!」突然呼び止められた。「どうかしましたか?」「イレーネさん。お金なんて結構ですよ」「ですが、それでは私の気持ちが収まりませんわ」「それでしたら……あの、もしよければ……今度イレーネさんが焼いたパンを僕にも分けていただけたら嬉しいです。僕がパンを好きなのは御存知ですよね?」「そうですね。それでは今、持ってきますね。レーズンを入れていないパンなら、もう焼いていたんです」「本当ですか? ありがとうございます」笑顔になるケヴィンを玄関に残し、イレーネは家の中へ入っていった。「どうもお待たせいたしました。どうぞ、ケヴィンさん」紙袋にパンを入れたイレーネがケヴィンの元へ戻って来ると、差し出した。「うわあ……パンの良い匂いがしますね。それにまだ温かい」「はい、30分ほど前に焼き上がったところですから」「ありがとうございます。味わっ

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   122話 私が行ってきましょう

    「どうもありがとうございました」別宅の前に馬車が到着し、イレーネは馬車代を支払うと痛みを押さえて降り立った。「大丈夫ですか? お客様」男性御者が心配そうに声をかけてくる。「ええ、大丈夫です。ご心配頂きありがとうございます」「では、失礼します」互いに挨拶を交わすと馬車は走り去っていった。「……何だか痛みが酷くなってきたみたいだわ。早く治療しなくちゃ」痛む足を引きずりながら、イレーネは家の中へ入っていった――** 帰宅したイレーネは、湿布を作るために台所で材料を探していた。「え〜と、小麦粉にビネガーは……あ、あったわ」早速小麦粉をビネガーと混ぜて練り合わせると用意していたガーゼに塗ると、ガーゼを痛めた足首にそっとあてる。「つ、冷たい……でも我慢我慢」自分に言い聞かせ、包帯を巻きつけた。「……出来たわ。どうかしら?」早速イレーネは少しだけ歩いてみた。「だいぶ痛みは和らいだみたいね。やっぱりお祖父様直伝の湿布は効果があるわ」窓の外を見ると、そこには農作業用道具が畑の側に置かれている。「……こんな状態じゃなければ、マイスター家に戻っていたのだけれど……」買い物から帰宅後は、すぐに畑仕事が出来るように用具を出して出掛けてしまっていたのだ。「痛みがひいたら、片付けをしなくちゃ」イレーネはポツリと呟いた。****「今日もイレーネさんは別宅に泊まられるのですね」仕事をしているルシアンに紅茶を注ぎながらリカルドが尋ねた。「そうだ。……別宅という言い方をするな」ムッとした様子でルシアンがリカルドを見る。「それは失礼致しました」「全く……イレーネはあの家が好きなようだ。毎回楽しそうに行っているからな」「つまらなそうな顔をして出掛けられるより、余程良いではありませんか」リカルドの言葉に、ルシアンは呆れ顔になる。「あのなぁ、俺はそんなことを話しているんじゃない。……もしかして、あの場所には何かあるんじゃないだろうか?」「何かとは?」「それが分からないから、何かと言ってるんだろう?」「ルシアン様……」じっとリカルドはルシアンを見つめる。「な、何だ?」「本当に、イレーネさんのことを気にかけてらっしゃるのですねぇ?」「それは当然だろう? 何しろ彼女とは契約を結んだ婚約者の関係だからな。今月開催する任命式で、正式にイレーネ

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   121話 イレーネとベアトリス

     イレーネがベアトリスをじっと見つめていた時。「サイン下さい!」突然イレーネの後ろにいた男性が前に進み出てきて、ぶつかってきた。「キャア!」小柄なイレーネはそのまま、前のめりに転んでしまった。はずみで持っていた買い物袋も地面に落ち、袋の中からリンゴがコロコロとベアトリスの足元に転がっていく。「まぁ! 大変!」ファンにサインをしていたベアトリスはリンゴを拾うと、イレーネに駆け寄ってきた。「大丈夫ですか?」イレーネに手を差し伸べるベアトリス。「は、はい……ご親切にありがとうございます」その手を借りてイレーネは立ち上がると、次にベアトリスはぶつかってきた男性を睨みつけた。「ちょっと! 貴方はレディにぶつかって転ばせてしまったのに、手を貸すどころか謝罪も出来ないのですか!?」「え? す、すみません!!」ベアトリスにサインをねだろうとした男性はオロオロしている。そんな男性を一瞥するとベアトリスはイレーネに笑みを浮かべた。「申し訳ございません。お詫びの印にサインをしてさしあげますわ。どれにすればよろしいですか?」「え? サ、サインですか!?」そんなつもりで並んでいなかったイレーネは当然戸惑い……ふと、閃いた。「あの、でしたらこのメモに書いていただけませんか?」イレーネは買い物メモをひっくり返して手渡した。「あら? これにですか?」怪訝そうな表情を浮かべるベアトリス。「はい、まさかこのような場所で大スターにお会いできるとは思ってもいなかったので他に持ち合わせがないのです。でも、額に入れて飾らせていただきます!」「まぁ。そこまで言って頂けるなんて嬉しいわ。ではこのメモにサインしましょう」ベアトリスはイレーネからメモを受け取ると、サラサラとサインをして手渡してきた。「はい、どうぞ」「ありがとうございます……一生の宝物にさせていただきますね」「フフフ。大げさな方ね」そのとき――「劇団員の皆様! お待たせ致しました! 迎えの馬車が到着いたしました!」スーツ姿の男性が大きな声で呼びかけてきた。「行こう、ベアトリス」そこへ黒髪の青年が現れて、ベアトリスに声をかけてきた。「そうね、カイン」そしてベアトリスはカインと呼んだ男性と共に、その場を去って行った。「あ〜あ……サインもらいそびれてしまった……」「やっぱりベアトリスは美

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